ページ紹介 その5 NHKザ☆ネットスター! 中の人=アンディさんによる原稿

やずやです。
東点がどのように配分されるか?
門下生、道場破りの皆は、今、非常にナーバスになっていると思うのですが、
僕は僕で、文フリの当日、母親が会場に来るかもしれない、
ということでめっちゃナーバスになっています。


気が気じゃないです。
母親降臨とかいって、母性のディストピア的に、マジパネェっす。
ケフィアとかいう名前の雑誌を売ってる自分、耐えられるのか??


さて、そんな不安で眠れない今夜は、
最後のページ紹介として、
ついさっきまで放送されていたNHKの「ザ☆ネットスター!」の
企画を立ち上げられたプロデューサーのアンディさん
(中の人とも呼ばれている)による
聞き書きというスタイルの原稿を紹介いたします。





記事では、いかにしてネットスターという企画が誕生したのか、
また、ネットスターをやってみてどのようなことが見えてきたのか、
その辺についてアンディさんに書いて(語って)いただいております。


じつは、僕は、個人的には、このNHKのザ☆ネットスターという番組は、
ネットという存在を通して、
「テレビとはそもそもどんなメディアだったのか?」
ということを徹底的に自己言及しつつ浮き彫りにした
画期的な番組だと思っています。
ネットという鏡に、テレビの姿を映してみた時に、
見えてくるもの(それは無様な姿かもしれない)を、
そのまま放映している番組だと思うのです。


つまり、ネットが出てきたことによって、あるいはニコ動が出てきたことによって、
これまでテレビというメディアがどのような機能を持っていたのか、
あるいは、どのように受容されてきたのか、
ということがはっきりしてきたのではないでしょうか。
いわば、暗黙知的に共有されていたテレビの文法が、ニコ動を媒介することによって、
可視的になってきたのではないか、と僕は考えています。


そこで、ネットスターは、「テレビのお約束が常に暴かれ続けている」
ということをちゃんと自覚しつつ(してるのか?)、
テレビでまだ何かやれるの?ということを模索している。


これは、もちろん、作るほうは大変です。
視聴者はもう黙って喜んでくれていないのを前提に作らなくてはならないから。
シニカルにも喜んでくれない状況で、何をどうすれば、受けるのか??
そこでネットスターは戦っているように思います。


これは、ADやプロデューサーなど、裏方の存在を
画面に登場させた、80年代のトンネルズ的な発明に続く、
ネット時代におけるテレビ番組のあり方として、
新しい発明だと僕は思っています。
(トンネルズは裏方を表に出したことが画期的だったのだとしたら、
ネットスターは、出演者に常にニコ動のことを意識させている点が画期的です)
あるいは、それは、ゼロアカで始まった
「ザクティ革命=F革命」とも通じる発想がそこにある気がします。
(ちなみに、僕はF革命のことを、
自分の中で、こっそりと「すべてがFになる革命」と名づけています・・・嘘です)


この原稿では、実際、そのようなネット時代における変化を
制作の現場はどのように受け止めているのか、
中の人に赤裸々に(?)書いていただいております。


テレビなんてみねーよ、という人も、
そもそも何故見なくなったのか?
と考えてみると面白く読める原稿になっていると思います。
もちろん、ネットに興味がある人もお楽しみに!



注)
このインタビュー記事の載った雑誌は
11月9日の文学フリマにて限定販売をいたします。


文学フリマ会場>
東京都中小企業振興公社
秋葉原庁舎 第1・第 2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩 1分、都営地下鉄新宿線 岩本町駅徒歩 5分)


僕たちの雑誌「ケフィア」は 2階 B-68一番端っこにあります。
一部500円です。



<時間>
11:00〜16:00

過去に追われるミツノさん

 どうも、こんにちは。ミツノです。

 昨日は、日曜日の文学フリマに備えて美容院に行き、大学デビュー以来そこで服を買っている渋谷の丸井で、バーゲン中でもないのに買い物をし、文フリの日は服装にも気を遣ってみようかなどと思っていたら、「当日はこちらを着て売り子をしてください」という手紙と一緒に、講談社から「ゼロアカTシャツ」が送られてきて、大いにズッコケているところです。カッコつけんなということか。

 さて、前回のエントリでは文学フリマへの思い入れを語ってみたけど、しかし実際には、文フリ参加に向けて、いろいろと懸念していることもある。その懸念とは、「おーい、このゼロアカTシャツ、門下生一〇人のプロフィール写真がプリントされてるよ……」ということではなくて、もう何年も絶交状態にある昔の友人たちとおそらく文フリ会場で顔を合わせることになるであろう、ということなのである。

 実は、文学部仏文科時代の友人たち(僕は大学院は別の研究室へ行った)が『破滅派』という文芸同人誌を作って文フリで販売している、という情報をキャッチして以来、僕は彼らを避けて、文フリに近づかないようにしていた。『破滅派』も今はオープンに参加者を募っているようだから、当時の仏文科と関わりのないメンバーも多いだろうけど、その中核には僕の旧友たちがいるはずなのだ。

 『破滅派』という名前を聞いてピンとくる人もいるのではないかと思うのだが、『破滅派』の中心人物は、一年前に新潮新人賞小説部門を受賞した高橋文樹くんである(あのとき評論部門を受賞したのが大澤信亮さんで、僕は二度ビックリした)。彼はその受賞作「アウレリャーノがやってくる」において、「破滅派」という文芸サークルに所属する文学青年たちを題材にしていたから、あの小説を知っている人は、「破滅派」と聞いてピンとくるのではないかと。

 高橋文樹くんと僕は仏文科時代の同窓生で、彼のほうが一つ年下だけど僕は一浪していたから、同じ学年だった。そして僕らが大学四年生だった二〇〇一年、彼は「第一回幻冬舎NET学生文学賞」というやつを受賞して、作家デビューしてしまったのである。まあ、そこまではよくある話(そうでもないか)なのだが、幻冬舎から刊行された彼の受賞作『途中下車』がちょっと大変な小説だった。

途中下車

途中下車

 『途中下車』はこんなストーリーである。両親を事故で亡くし、妹の「理名」と二人で暮らす大学生の「ぼく」は、合コンで知り合った「麗奈」と付き合い始めるものの、自分が本当に愛しているのは「理名」だと気付いて「麗奈」とは別れ、妹との近親相姦にのめり込んでいく。それは、人生のレールを外れた「途中下車」である……。

 まあ、ヒロインの名前に時代を感じてしまう点などを、ここで問題にするつもりはない(僕だったら「理名」でも「麗奈」でもなく「涼子」を採用しただろうけど)。問題なのは、この主人公「ぼく」の大学の友人として、「陽介」という名前の童貞の文学青年が登場し、冒頭の合コンシーンで痛い言動を繰り返すことなのである。ちなみにわたくし、三ツ野陽介と申します。

 百歩譲って、それだけならまだ許せる。しかし、この合コンシーン以来、出番のなかった脇役の「陽介」くんは、「ぼく」が妹の「理名」と近親相姦に足を踏み入れた終盤のクライマックス直後に再び召還され、「実は昨日、うちの陽介が亡くなったんです」という具合に、なんと自殺してしまうのである。いくら青春ドラマに「友人の自殺」が欠かせないからと言って、そこまでやるかと。

 僕はこれを「ゾラ−セザンヌ問題」と呼んでいる。つまり、一九世紀フランスの作家ゾラは、友人で画家のセザンヌをモデルにして小説を書いたのだが、その作品の中で画家は夢破れて自殺してしまう。この小説を読んで傷ついたセザンヌは以後、ゾラと絶交したという。

 それで僕もセザンヌにならって、高橋くんとすぐに絶交したかというと、実はそうでもなくて、「小説の印税が入ったから」とか言われて、飲み屋で高橋くんにおごられていた記憶もある。

 しかし、それでも一応、「あの小説の終盤で、陽介という人物が自殺してしまうのはいかがなものか?」と彼に直接抗議したことはあった。そのときの彼の返答は、はなはだ要領を得ないもので、「そりゃあ、読者から、もっと幸せな結末にして欲しかったという感想をもらうことはあるよ」みたいなものだった。

 ん? なんか僕の抗議が、思い入れのあるキャラクターにハッピーエンドを望むファン心理みたいなものだと勘違いしてないか? っていうか、あの「陽介」くんのモデルが僕だというのは、ただの自意識過剰なのか? でも、あの小説に出てくる他の「大学の友人」にも、それぞれモデルがいることは、僕にはよく分かることであるし……。

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 その『途中下車』から六年後、二〇〇七年に高橋文樹くんは新潮新人賞を受賞した。その六年のあいだ彼はずっと小説を書き続けていたようだが、作品発表の機会になかなか恵まれず、努力の末にようやく再デビューに至ったのである。ご立派。

 受賞作「アウレリャーノがやってくる」(『新潮』2007年11月号)を読んでみると、『途中下車』の頃とはずいぶん作風が変わったなと感じたけど、身の回りの人間をモデルに登場人物を造型する傾向は昔と変わっていないようだった。つまりそのモデルが「破滅派」なわけで、「危ない危ない。あのまま彼らと仲良くして『破滅派』に入っていたら、また自殺させられるところだった」と僕は胸をなで下ろしたのである。

 実際に、僕が仏文科の人たちと絶交したのは、この「ゾラ−セザンヌ問題」が直接の原因ではなくて、大学卒業後に、高橋くんとは別の人と喧嘩をしたり、久々に会った飲み会でイジメに近い扱いを受けたり、あるいは、現在のパッとしない自分を旧友の前に晒したくないという、しょーもない理由があったりした。それで僕は連絡を絶っていたのだが、今回、文学フリマに行く以上、彼らと再会しなきゃならない。

 それにしても、今はもう無い「幻冬舎NET学生文学賞」は、選考過程をネット上で公開する、読者投票もする、最終的に村上龍唯川恵幻冬舎の偉い人が選考する、受賞作は書籍化を約束する、というものだった。しかも確か「初版一万部」だったような。最初、ゼロアカ道場の概要を見たときに、「どっかで聞いたことある話だな」と僕が思ったのは、そのせいである。

 東さんにとって今年は「和解イヤー」だそうで、長く絶縁していた人たちと、次々と仲直りしているようですが、今週末、僕のほうの和解はどうなるだろうかな。東さん太田さんの採点がキツくて、僕がお葬式モードになっていないことを祈るばかりです。

 長々とゼロアカ道場に関係ないことを書き連ねて、いったい何が言いたかったのかと言うと、文学フリマ御来場の際は僕らの『ケフィア』とともに、僕の旧友たちの雑誌『破滅派』も買ってみてはいかがですか、ということです。っていうことにしとく。


*破滅派(http://hametuha.com/information.php

ページ紹介その4 第一回文学フリマの頃


 ミツノです。上は、大澤信亮氏+杉田俊介氏+三ツ野の鼎談の一部です。このページが一番、鼎談の雰囲気を伝えているかと思って。

 とはいえ、僕の担当記事に関しては、もう27日のエントリでだいたい紹介してしまったので、記事紹介の代わりに、それに少し関連する事柄として、2002年11月の第一回文学フリマの思い出でも語ってみようかと思う。


 そう。僕は第一回文学フリマに行っていた。
 と言っても、そこで自分の同人誌を売っていたわけではなく、客として行っただけだが、当時僕は、鎌田哲哉という批評家の周りをウロチョロして交流させて貰っている学生だったので、その縁もあって行ったのである。

 ゼロアカ道場の文脈では、「佐藤友哉西尾維新舞城王太郎の同人誌が第一回文学フリマで売られた」ということばかりが強調されて、なんだか黒歴史化しているような気もするが、あのときの会場では、大塚英志さんと鎌田さんの公開討論が開催されていて、一応こちらのほうがメインイベントだったはずである。そこに「文壇アウトローズ」の福田和也さんと坪内祐三さんがプロレス的に乱入して、場を攪乱するなどという一幕もあった。

 「俺はSPA!とは仕事をしないことにしてるから、俺の写真は撮るな」
とSPA!のカメラマンに抗議している大塚英志さんの姿など非常に印象的だった。結局、SPA!の「文壇アウトローズ」の連載記事では、大塚さんの姿がカットされたかたちで、そのときの写真が載ったのではなかったかな。そしてその写真には、客席に座っている僕の背中も写っていたような記憶もあるが、定かではない。

 大塚英志さんは文学フリマの提唱者であったから良いとして、なぜその場に鎌田さんが呼ばれていたのかというと、その当時、鎌田さんは『重力』という批評誌を創刊して注目されていたからである。この雑誌は、執筆者自らが資金と編集作業を負担して独立採算を目指すという理念に基づいていて、それは、コミックの収益に寄生して赤字を量産する大手文芸誌を「不良債権」と呼んで批判していた大塚さんの主張、および「文学フリマ」の理念に合致するものだった。それで公開討論という運びになったのである。

 まあしかし、「文壇アウトローズ」の乱入ばかりが印象に残って、その討論でどんなことが話されていたのか記憶喪失気味なのだが、次の年に福田さんと坪内さんが『en-taxi』創刊に動いたのも、このような流れに刺激されてということがあったと思う。また、僕の記憶が正しければ、当初、大塚さんが「文学コミケ」という名前で構想していたのを、「コミケ」なんていうのは嫌だと言って「文学フリマ」にさせたのは鎌田さんだったはずである[要出典]。

 その公開討論が終わると、僕は鎌田さんのまわりをウロチョロし、『重力』のブースで売り子の真似事のようなこともしていたかもしれない。現在の僕が論壇系のトークイベントなどにあまり行きたがらないのは、その頃のことを恥ずかしく思っているからである。まあ、やってることは、いまでもたいして変わらないわけだが。

 その会場には、今回の雑誌で鼎談に協力して頂いた杉田俊介さんも大澤信亮さんもいた。杉田さんとは挨拶したはずだが、『重力』のメンバーでもあった大澤さんと、その当時すでに面識があったかどうかは思い出せない。また市川真人さんも『重力』のメンバーだったし、文学フリマの公式サイトを見ると第一回の主催は『大塚英志市川真人早稲田文学)・青山ブックセンター』となっている。とにかく、皆さん、あの場所にいらっしゃったわけだ。

 ところで、東さんがゼロアカ公式サイトの「檄文」で回顧していたように、あの第一回文学フリマ会場には東浩紀さんもいた。
 あの頃の鎌田さんは、『早稲田文学』誌上で「進行中の批評」という論壇プロレスの最高峰みたいな連載をしており、それは、おもに批評家を毎回一人取り上げて徹底批判するというようなものだったが、東さんも連載の第二回で俎上にのせられて、和解などとても不可能に思える言葉づかいで批判されていた。

 だから、当時の鎌田さんと東さんは非常に微妙な関係だったはずである。しかし、東さんがそのとき「どうも!鎌田さん、お久しぶり!」みたいな明るい調子で、『重力』のブースのほうに積極的に乗り込んできたのには驚いた。

 当時、文章などから伝わってくる東さんのパブリックイメージは、どちらかと言うと繊細なもので、現在のような豪傑風のイメージはなかった。だから、「ふーん、東浩紀ってこういう人だったのか」と僕は意外に思ったのである。そのとき、僕は東さんと少しだけ会話させてもらったと記憶している。そして文学フリマがお開きになると、東さんと鎌田さんは仲良さそうに飲みに行ってしまった。

 そして結局、僕はその数ヶ月後に鎌田さんに対して飼い犬が手を噛むようなことをして、シャレにならない事態を招いてしまい、それ以来、鎌田さんとの交流は途絶えたのだった。そのときの話は、今回の杉田さんと大澤さんとの鼎談でちょっと話題になってます。


 東さんは「檄文」のなかで、「この第4回関門は、ぼくにとって、なにかもういちど出発点に戻ってきたような感慨を与えてくれる」と書いていたけれど、僕にとってもまさにそうで、市川さん、杉田さん、大澤さんの協力を得ながら、「東浩紀ゼロアカ道場」として文学フリマで雑誌を売るというのは、「時代がひとめぐりをしたのだな、という感覚」を、僕にも与えてくれるのである。

東浩紀のゼロアカ道場 「来週日曜日(9日)は、文学フリマに遊びに来てね!」


来週日曜日は、みんな文学フリマに来てね!
ケフィア」という同人誌を販売しております。
僕たちのブースは2階B-68、一番はじっこにあります☆
1部たったの500円です!



<会場>
東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第 2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩 1分、
都営地下鉄新宿線 岩本町駅徒歩 5分)


<時間>
11:00〜16:00

ページ紹介その3 濱野智史さんインタビュー「擬似同期化するファッションの世界」

こんにちは。
最近、同人誌の宣伝をするためにmixiの「egg」の読者コミュニティに入って、
いろいろ書き込みをしてみたんですが、
正直、浮きまくっていて…大丈夫か?状態のやずやです。


さて、本日は、同人誌のページのページ紹介の第3段ということで、
先日、「アーキテクチャーの生態系」を上梓され、
今、話題沸騰中の濱野智史さんのインタビューから抜粋して掲載させていただきます。


しかし、今回同人誌で伺った内容は、
アーキテクチャーやニコ動の話ではなく「ファッション」についてです。


濱野さんには、今年9月に銀座にH&Mが上陸したことをうけて、
ZARAやGAP、UNIQLOなど、グローバルに展開している大型ファッションブランドが
この情報社会といかに関わっているのか、というお話を伺ってきました。



実際、流行の「同期」「非同期」「擬似同期」に注目して
社会学的に分析してみた時、そこにはいろいろな面白い現象が
見え隠れしていることが分かると思います。
洋服は、身近なものだけに興味深いです。



また、記事の後半では、「知識人ファッションチェック!」と題して、
「東さんのポールスミス問題」
「萱野さんのドルチェ&ガッバーナ問題」など、
ピーコにも負けない、濱野さんの激辛ファションチェックもあります。


「僕の世代の感覚で言えば、少なくとも大学あたりで
ポールスミスとか着ているのは最高にイケてない奴ですよ(笑)」
と語る濱野さんの発言、要チェックです!!




インタビュー内容


・SPAとは何か
・「擬似同期」化するファッションビジネス
・ファッションの3段階モデル ―浅田彰北田暁大
・「パルコ」から「ルミネ」へ
・《生産=工場=機械》としてのSPA ―ドゥルーズガタリネグリ/ハート、ハイエク
・デッドストックからアウトレットへ ―90年代の「裏原」からゼロ年代の「SPA」へ
・「カフェ」をめぐって ―ハーバーマスデリダ、ルソー
・知識人ファッションチェック!
・コスプレ、その可能性の中心
・女性ファッション界もモジュール化が進む?「小悪魔系」「妹系」「アネゴ系」
・「ディスタンクシオン」が不在の日本 ―ブルデュー丸山真男三島由紀夫




濱野智史さん
1980年生。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
株式会社日本技芸リサーチャー。10月末に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)を刊行。

ページ紹介その2 福嶋亮大さんインタビュー「強度から意味へ 神話社会学のヒント」

やずやです。こんにちは。


今日は、同人誌のページ紹介の第2段として、
批評家の福嶋亮大さんのインタビューから
1ページだけ、紹介させていただきたいと思います。


この記事の読みどころは、
福嶋さんによる、何故今は神話の時代なのか?神話を分析する意義とは何か?
という解説です。


僕が言うのは僭越かもしれませんが、
ユリイカの「神話社会学」を読んでいらっしゃる方は、
うちの同人誌も同時に読むと良いのではないかと思います。
理解が深まりますよ!めっぽう面白いのです。


というわけで、みなさんどうぞよろしくお願いいたします。




福嶋亮大さん
文芸批評家、中国文学者。1981年生まれ。
2004年にメールマガジン波状言論』でデビューして以来、
文芸誌を中心に評論を発表。
現在『ユリイカ』(青土社)で「神話社会学」を連載中。
ブログはhttp://blog.goo.ne.jp/f-ryota/