コモディティ!コモディティ?

最近、マーケティングの世界では、ITの浸透によって、コミュニケーションの速度があがり、
コモディティ化の速度が高まっている、ということが言われている。
言われすぎてしまって、大事なことが見えなくなっている気もする。
そういう時は、一歩立ち止まって考えてみることが大事なような気がする。


今の時代は、ITがすごすぎて、大航海時代の胡椒貿易が代表するような、
AとBを交換する時に発生するタイムラグや地域的な差異によって作れていた価値が、
なかなか作れなくなってしまったということが問題なんだと思う。


※実は、そのへんの細かい話は、以前、情報社会学者の濱野さんにインタビューという形で聴いたことがあるので、
興味がある人はそれを参考にしてみてください。⇒

東浩紀のゼロアカ道場 伝説の「文学フリマ」決戦 (講談社BOX)

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で、このコモディティ化ってのは、もちろん商品だけではなくて、
サービスや情報といった形のない"財"についても言えるように思う。


例えば、語学教育サービス。
以前なら、日本語と英語が出来るというだけで、英会話の教師の市場が成り立っていたけれど、
最近では、例えば"レアジョブ"などが提供しているサービスのように、スカイプを使って、
超安価に、フィリピンの優秀な人に英会話を格安で教えてもらえる仕組みが出てきている。
ほんとに、スカイプや、twitterニコニコ動画などのITはいろんなことをリアルタイム化してしまった。
流行が常にすでに起きているために、それは「もはや流行ではない」のだ。


そんなこんなで、どさくさに紛れて、人材のコモディティ化も進んでいる(怖い)。
TOEIC何点とってもあんまり活かせないというか、点数高い人なんてゴロゴロいて、
それだけじゃ価値がなくなってしまっているように思う。
(僕は点、低いけど(笑))


あと、人材のコモディティ化で象徴的だなと思うのは、例えば、アイドル。
AKB48は、アイドルのインフレを起こすことで、一旦アイドル市場全体をコモディティ化してしまった。
その上で、戦略としてゲーム性を取り入れることで(じゃんけんやったりして)、自分たちの付加価値を保った。
しかし、一般にアイドル市場全体はコモディティ化してしまって、よっぽどの差別化をしなければ価値を生みにくくなってしまっている。


さて、そういうわけで、多くの人が広告業界はますますやばくなるといっている。
というのも、せっせとクリエーターがブランドの記号的差異をつくってみたところで、
コモディティ化の勢いが速すぎて、付加価値をつけにくくなっているからだ。
(常に既に流行とコモディティ化が同時に起こっている世界)
だから、そう言いたい気持ちは、わからなくはない。


実際、広告では、商品のウリ(ユニークセリングポイントという)をきちんと明確に言ってあげる(what to say)ことがその仕事の一つなのだけど、
いくらそれをやったところで、すぐにコモディティ化(陳腐化)してしまって差異化できなくなってしまう。
若者のメディア離れとかも相まって、確かに大枠で見ると厳しいとも言える。


でも、(ここからが自分でもよくわからなくて、整理できていないのだけど)
広告会社への仕事の相談は(少なくとも僕の所には)日に日に増えていっている。
広告会社はやばくなる、といわてるのに、仕事はどんどん増えているし、
(誤解なきようにしてもらいたいのだけど)頼られることも増えてきているように思うのだ。
実に、不思議なことである。


ただ、まぁ、一つ言えるのは、
コモディティ化したからといって、人はそれでも何かを買わないといけないので、
それなりに気持ちよくなれるものを求めていて、
その気持ちよさの基準が、従来の(いわゆる)ブランド価値とは違うものになっているということなのかもしれない。
かっこいい、とかイケてるとか、明るいとか、そういうことは、ある種簡単に記号的に操作できて作れてしまうのだけど、
一方で、簡単であるが故に、すぐにコモディティ化してしまうから、
"そんなもの"ではあんまり気持よくなれなくなっているってことだ。
だから、もう少し普遍的な価値みたいなところ、
記号的な価値ではないところを伝えるにはどうすればいいのか、という相談が増えているのだ。
それがよくいわれる"共感"というキーワードで語られていることの後ろにある文脈なんだと思う。


買って気分がよくなることは当然として、買うことの意義みたいなものを求めるようになったということがありそうだ。
そこの所がまだ僕はうまく言えないのだけど、
今騒がれているマーケティング3.0とか、モチベーション3.0とかの話とリンクしているのだろう。


なんとなくだけど、そう考えてみると、
商品のwhat to sayよりもwhy to sayとか、by the way みたいな所が
ブランディングに必要になっているのもうなずける。
「僕のこんな所がいいんです(what to say)」で終わっている商品ではなくて、
なんで、僕という商材が世に出る必要があるの?
みたいな所までちゃんと考えて作られた商品が支持されたりしている。


あるいは、いきなり買って、といわずに、
「ところで、パーティ抜け出さない?」という形で変化球を投げた方が、
その人に興味が出てくるのと一緒で、
ずらしていくことで気にしてもらうというのもひとつのメソッドにはなっている。


それにしても、差異がない時代というのは、資本主義的にも、実はすごく難問題なんだろうなと思う。
戦略も立てづらい(だって戦略というのは、どういう差異を作るかということに尽きるから)とは思うのだけど、
見方を変えれば、それでも何か新しい方法論みたいなのを作れたらとても面白いんだろうなとは思う。


なんていうか、ここまで書いておいて、自分でいうのもなんだけど、
このエントリも、我ながらコモディティ化してる文章だなと思う。
この手のブログ記事ってたくさんありますよね。まいったな。