入稿しました。および、ミツノのコンテンツについて。

 そういうわけで僕たちのチームは、メンバー変更という事態を考慮して頂き、当初のルールで設定されていた締め切り日より10日間遅く、25日までに印刷屋さんに入稿するという約束になっており、そして一昨日ちゃんと入稿できたのでした。やずやさん、おつかれさま。


 さて振り返ってみると、復帰後のミツノがまず考えたのは、今からインタビューやるのはスケジュール的にキツいだろうから、論文を三本ぐらい書こうかなということでした。

 それで、とりあえず肩慣らし的に書き始めた論文のタイトルが「ロストジェネレーションと公共性」というもので、おいおいそれっていかにも「いまの思想/ブログ論壇界でありきたり」じゃないかという感じですが、実際に書いてみて、面白いとはとても思えず、すっかり困ってしまいました(あともう一本は『ガンダムSEED』や『ガンダム00』における戦争概念をウォルツァーの正戦論を使って論じるというアイディアだったがこれも書かず、結局、論文はメインの一本に集中しました)。

 そこで思い出したのは、僕はいわゆる「ロスジェネ論壇」の旗手である若手批評家のお二人、杉田俊介さん、大澤信亮さんと五年以上前から知り合いだったじゃないか、という「華麗なる人脈」のことで、あの人たちなら厳しいスケジュールのなかでもどうにか都合をつけてくれるのではないか、と思い連絡してみました。

 えーっと、とりあえず「ロストジェネレーションと公共性」みたいなタイトルでお話を伺おうかと思うんですが、と僕が電話で言うと、なーに、くだらんこと言ってんだみたいなリアクションで大澤さんはあっさりとそれを切り捨て、もっと大事な話をしようということになったのでした。そうやってできたのが、今回の「大澤+杉田+三ツ野鼎談」です。インタビューじゃなく鼎談というかたちになっているのは、要するに、僕が友情に甘えたわけですね。

 鼎談のタイトルは「批評は何を語るのか」。話の内容は、お二人を話し相手とする以上、今日の若年労働問題の話なども当然含まれますが、中心の議題になっているのは、柄谷行人隠居後の批評の流れに対する批判的な検討ということでした。その流れの中で、かつてお二人とミツノを結びつけた「ある批評家」の話や、伏せておいたほうがいいのかもしれない僕がかつて●●●会員だった過去の話などもぶっちゃけてみました(モーニング娘。のファンクラブ会員だった過去の話ではない)。

 最初は「最近、ロスジェネどうよ?」みたいな余裕ある態度で鼎談に臨んでいたはずのミツノが、大澤さん、杉田さんから、過去の左翼的なる活動の「総括」を要求されて、だんだん涙目になっていく姿は、自分のことながら結構感動的なのではないかと思ってしまいます。

 もうひとつ、僕が一本書いた論文についてですが、これは第三関門落選課題の書き直しであり、かつ新作の論文という位置づけです。

 内容的には第三関門のものと重複もありますが、あのときは「自著要約」という出題を真に受けすぎて、一つ一つのテーマを掘り下げることができなかったので、もっと的を絞って、切り口も文体もかなり変えてみました。

 また前の「大澤+杉田+三ツ野鼎談」と合わせて読んでいただくと、ミツノにはこういう過去があり、大澤さん、杉田さんからこういうアドバイスを受け、それでこういう論文になったんだな、という物語性が何となく浮かび上がってくるのではないかと。さっきの「涙目」には、お二人の熱い友情に涙がこみ上げてきたという意味もあります。本当にありがとう。

 僕は基本的に、自分が過去に書いたものを読むのが恥ずかしいタイプで、『PLANETS』に書いた原稿なども、なるべく読み返さないように心がけているのですが、今回の原稿に関しては500部売れてしまっても、さほど赤面しないと思う。僕が書いてきたもののなかでは一番良いのではないか。だからまあ、これで駄目ならしょうがない。