過去に追われるミツノさん

 どうも、こんにちは。ミツノです。

 昨日は、日曜日の文学フリマに備えて美容院に行き、大学デビュー以来そこで服を買っている渋谷の丸井で、バーゲン中でもないのに買い物をし、文フリの日は服装にも気を遣ってみようかなどと思っていたら、「当日はこちらを着て売り子をしてください」という手紙と一緒に、講談社から「ゼロアカTシャツ」が送られてきて、大いにズッコケているところです。カッコつけんなということか。

 さて、前回のエントリでは文学フリマへの思い入れを語ってみたけど、しかし実際には、文フリ参加に向けて、いろいろと懸念していることもある。その懸念とは、「おーい、このゼロアカTシャツ、門下生一〇人のプロフィール写真がプリントされてるよ……」ということではなくて、もう何年も絶交状態にある昔の友人たちとおそらく文フリ会場で顔を合わせることになるであろう、ということなのである。

 実は、文学部仏文科時代の友人たち(僕は大学院は別の研究室へ行った)が『破滅派』という文芸同人誌を作って文フリで販売している、という情報をキャッチして以来、僕は彼らを避けて、文フリに近づかないようにしていた。『破滅派』も今はオープンに参加者を募っているようだから、当時の仏文科と関わりのないメンバーも多いだろうけど、その中核には僕の旧友たちがいるはずなのだ。

 『破滅派』という名前を聞いてピンとくる人もいるのではないかと思うのだが、『破滅派』の中心人物は、一年前に新潮新人賞小説部門を受賞した高橋文樹くんである(あのとき評論部門を受賞したのが大澤信亮さんで、僕は二度ビックリした)。彼はその受賞作「アウレリャーノがやってくる」において、「破滅派」という文芸サークルに所属する文学青年たちを題材にしていたから、あの小説を知っている人は、「破滅派」と聞いてピンとくるのではないかと。

 高橋文樹くんと僕は仏文科時代の同窓生で、彼のほうが一つ年下だけど僕は一浪していたから、同じ学年だった。そして僕らが大学四年生だった二〇〇一年、彼は「第一回幻冬舎NET学生文学賞」というやつを受賞して、作家デビューしてしまったのである。まあ、そこまではよくある話(そうでもないか)なのだが、幻冬舎から刊行された彼の受賞作『途中下車』がちょっと大変な小説だった。

途中下車

途中下車

 『途中下車』はこんなストーリーである。両親を事故で亡くし、妹の「理名」と二人で暮らす大学生の「ぼく」は、合コンで知り合った「麗奈」と付き合い始めるものの、自分が本当に愛しているのは「理名」だと気付いて「麗奈」とは別れ、妹との近親相姦にのめり込んでいく。それは、人生のレールを外れた「途中下車」である……。

 まあ、ヒロインの名前に時代を感じてしまう点などを、ここで問題にするつもりはない(僕だったら「理名」でも「麗奈」でもなく「涼子」を採用しただろうけど)。問題なのは、この主人公「ぼく」の大学の友人として、「陽介」という名前の童貞の文学青年が登場し、冒頭の合コンシーンで痛い言動を繰り返すことなのである。ちなみにわたくし、三ツ野陽介と申します。

 百歩譲って、それだけならまだ許せる。しかし、この合コンシーン以来、出番のなかった脇役の「陽介」くんは、「ぼく」が妹の「理名」と近親相姦に足を踏み入れた終盤のクライマックス直後に再び召還され、「実は昨日、うちの陽介が亡くなったんです」という具合に、なんと自殺してしまうのである。いくら青春ドラマに「友人の自殺」が欠かせないからと言って、そこまでやるかと。

 僕はこれを「ゾラ−セザンヌ問題」と呼んでいる。つまり、一九世紀フランスの作家ゾラは、友人で画家のセザンヌをモデルにして小説を書いたのだが、その作品の中で画家は夢破れて自殺してしまう。この小説を読んで傷ついたセザンヌは以後、ゾラと絶交したという。

 それで僕もセザンヌにならって、高橋くんとすぐに絶交したかというと、実はそうでもなくて、「小説の印税が入ったから」とか言われて、飲み屋で高橋くんにおごられていた記憶もある。

 しかし、それでも一応、「あの小説の終盤で、陽介という人物が自殺してしまうのはいかがなものか?」と彼に直接抗議したことはあった。そのときの彼の返答は、はなはだ要領を得ないもので、「そりゃあ、読者から、もっと幸せな結末にして欲しかったという感想をもらうことはあるよ」みたいなものだった。

 ん? なんか僕の抗議が、思い入れのあるキャラクターにハッピーエンドを望むファン心理みたいなものだと勘違いしてないか? っていうか、あの「陽介」くんのモデルが僕だというのは、ただの自意識過剰なのか? でも、あの小説に出てくる他の「大学の友人」にも、それぞれモデルがいることは、僕にはよく分かることであるし……。

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 その『途中下車』から六年後、二〇〇七年に高橋文樹くんは新潮新人賞を受賞した。その六年のあいだ彼はずっと小説を書き続けていたようだが、作品発表の機会になかなか恵まれず、努力の末にようやく再デビューに至ったのである。ご立派。

 受賞作「アウレリャーノがやってくる」(『新潮』2007年11月号)を読んでみると、『途中下車』の頃とはずいぶん作風が変わったなと感じたけど、身の回りの人間をモデルに登場人物を造型する傾向は昔と変わっていないようだった。つまりそのモデルが「破滅派」なわけで、「危ない危ない。あのまま彼らと仲良くして『破滅派』に入っていたら、また自殺させられるところだった」と僕は胸をなで下ろしたのである。

 実際に、僕が仏文科の人たちと絶交したのは、この「ゾラ−セザンヌ問題」が直接の原因ではなくて、大学卒業後に、高橋くんとは別の人と喧嘩をしたり、久々に会った飲み会でイジメに近い扱いを受けたり、あるいは、現在のパッとしない自分を旧友の前に晒したくないという、しょーもない理由があったりした。それで僕は連絡を絶っていたのだが、今回、文学フリマに行く以上、彼らと再会しなきゃならない。

 それにしても、今はもう無い「幻冬舎NET学生文学賞」は、選考過程をネット上で公開する、読者投票もする、最終的に村上龍唯川恵幻冬舎の偉い人が選考する、受賞作は書籍化を約束する、というものだった。しかも確か「初版一万部」だったような。最初、ゼロアカ道場の概要を見たときに、「どっかで聞いたことある話だな」と僕が思ったのは、そのせいである。

 東さんにとって今年は「和解イヤー」だそうで、長く絶縁していた人たちと、次々と仲直りしているようですが、今週末、僕のほうの和解はどうなるだろうかな。東さん太田さんの採点がキツくて、僕がお葬式モードになっていないことを祈るばかりです。

 長々とゼロアカ道場に関係ないことを書き連ねて、いったい何が言いたかったのかと言うと、文学フリマ御来場の際は僕らの『ケフィア』とともに、僕の旧友たちの雑誌『破滅派』も買ってみてはいかがですか、ということです。っていうことにしとく。


*破滅派(http://hametuha.com/information.php